なんだかこう、自分の顔がカメラで写しだされていると、あまりの醜さに眩暈がしてくるね?リモート授業でウェブカメラを使わなきゃいけない時、僕はわざとカメラを上に向けて顔が見切れるようにします。こっそりツイッターを見るためというのもあるが一番の理由は僕の顔は下半分が特に醜いからです。自分の顔が醜いというのは自分の人生を一種の喜劇に変えてしまいます。何をやっても「不細工が~してる」になるからです。不細工が頑張ってる。不細工が人と話してる。不細工が飯食ってる。不細工が風呂に入る。不細工が腐ってる。不細工が死んでる。
 なんだか全てが馬鹿らしくなりませんか。なんにもやりたくないのです。ああ、また僕は自分の怠惰を何かのせいにしてしまった。本当はイケメンだろうがなにもしたくないのです。僕は本当に生活というものに心底嫌気がさしていて、風呂に入るのも食事をするのも面倒くさい。暮らしは何かの修行みたい。でも顔が良ければもう少し主人公面して人生を気ばれたのになあという思いはどこかにずっとあって、それは卵が先か鶏が先かみたいな話ではあるんだけども、長年の腐った生活がこんな腑抜けた、のぺっとした、釣り上げられた魚みたいな顔を作ったのか、そんな顔だからこんな間の抜けた人生しか選びたくなかったのか、そこのところが自分でも上手く掴めていない。
 ああ、恥ずかしいなあ。近頃はマスクをしないと遠出も出来ないくらいになっちゃいました。コロナが終わったらどうするんだろう。特に精神科にかかる時は絶対にマスクをしなければという気持ちに駆られるんですよね。不細工が心を病んでる。
 そういえば精神科医に薬の話をするとうんざりされるようになりました。「薬を処方したいという気持ちにさせてください」とまで言われた。「自分は異常なんだって叫んでるようにしか見えない」とも。前者に関しては本当に申し訳ない限りで、でも薬で頭をブチ飛ばさないと生きていけないんですよと言いたかった。後者に関しては不細工が異常者ぶってるのは最高に笑える見世物だと思うのでこれからも胸を張って異常者面していきたい。嘘です。本当は誰にも笑われたくない。普通にしてればいいだけなのになぜそれが出来ないんだろう。なぜ課題をやらず、出席届を出すのを忘れて、貧乏ゆすりを止めることが出来ないのかわからない。こりゃあいかんよ。薬漬けで、怠惰で、不注意で、多動で、ろくでもないよ。
僕が女性にもてていたら人間失格になるところだった。不細工でよかった。それにしても不細工をテーマに良く千文字もかけたなあ。不細工が文を書いてる。